学校に行けなくなり始めてから、
両親も自分に対する対応に苦労していたと思います。
学校で「居場所」がない自分にとっては…特に不登校最初の頃は、
家・家族が唯一「自分が存在しても良い場所」でした。
家にいる間に厳しくもされた時期もあったけど、
最終的に戸惑いながらもしっかり向き合ってくれたとも感じています。
今回は自分の不登校期間に印象に残っている
「親の向き合い方」についての話をしていきます。
苦しかった向き合い方
不登校期間中、最終的には親子として向き合えたと今では感じています。
ただ、そこにたどり着くまでには、親にも自分にもたくさんの葛藤や迷いがありました。
当時は今ほど情報もなく、「どうするのが正解なのか」が分からないまま、
手探りで動いてくれていたのだと思います。
ここから書く内容は、あくまで
「当時の自分が感じていた苦しさ」の記録であり、
親を責めたいわけではありません。
それでも心に強く残っている出来事があるので、いくつか紹介します。
苦しかった向き合い方①:言質をとろうとする(五月雨登校期)
親としては
「学校に行ってほしい」という想いからの行動だったのだと思います。
けれど当時の自分は、
「明日は学校へ行くんでしょう?行くって言いなさい」
と、はっきりと言葉にするまで圧をかけられるのが、とてもつらかったです。
行かなきゃいけない気持ちはある。
でも、心と体は動かない。
その“間”に自分は苦しんでいました。
本当は
「明日の朝になってみないと分からない」
というのが正直な状態だったからです。
当時の時代背景を考えると、
これも「普通の対応」だったのかもしれません。
それでも、あの圧はしんどかったと記憶しています。
苦しかった向き合い方②:同級生と比較される(五月雨登校時期)
「●●君はちゃんとしてるのに、あんたはどうして」
そんな言葉をかけられるたびに胸が締め付けられました。
“普通に学校へ行く”ということが出来ない自分。
それだけで、ものすごく劣っているように感じていました。
みんなは「普通+努力」をしているのに
自分は「普通」にすら届いていない
そう思い込んでしまい、自己肯定感が大きく削られていきました。
苦しかった向き合い方③:将来を不安で脅す言い方(完全不登校初期)
「学校に行けなかったら、将来困るよ」
「大人になってから苦労するよ」
親としては心配から出た言葉だったと思います。
でも、自分自身も
「このままじゃダメだ」
と、誰よりも分かっていました。
分かっているのに、動けない。
だからその言葉は
「責められている」ように聞こえてしまい、
さらに自分を追い込む結果
になっていたと感じています。
救われた向かい方
正直なところ、五月雨登校の時期や、不登校になり始めた初期の頃は、
親としても「どうにかして少しでも学校へ行かせなきゃ」と必死だったのだと思います。
その結果、今振り返っても苦しく感じる対応もありましたが、
当時の社会の空気感や、親の立場を考えると
「間違っていた」と一言で切り捨てることもできません。
ただ、完全不登校に入ってから、少しずつ親の向き合い方が変わっていきました。
そこから、親子の距離もゆっくりと縮まり始めた気がします。
ここでは、当時の自分にとって救いになった親の向き合い方を紹介します。
救われた向き合い方①:「今の自分」と向き合ってくれた
不登校の最中は、親も子どももどうしても
- 将来への不安
- 過去の後悔
ばかりに意識が向いてしまいます。
その結果、
「いま目の前にいる自分」と向き合ってもらえていないように感じることが多くありました。
でも、親が
「学校に行けない今の自分」
を前提として見てくれるようになった頃から、
少しずつ親子の関係が和らいでいったように思います。
救われた向き合い方②:「くだらない雑談をしてくれた」
学校や勉強の話ではなく、
- 再放送のドラマの話
- 「この番組面白いね」と笑い合うこと
- 何気ない日常の会話
そうした雑談の時間が増えていきました。
不登校初期は親子関係が最悪に近い状態でしたが、
雑談を通して、少しずつ信頼関係が戻っていった感覚があります。
雑談の延長で自然と進路の話ができたり、
「今どう感じているか」を共有できたりしたことは、
お互いにとって大きかったと思います。
救われた向き合い方③:「夜に外に連れ出してくれた」
日中は同級生に会うのが怖く、外出すら躊躇していました。
そんな中で、たまに夜のドライブに連れ出してくれた時間は、
自分にとって大きな気分転換になりました。
家では話せないことも、
車の中では少しだけ言葉にできたりして――
今振り返っても、不思議で温かい時間だったと感じています。
救われた向き合い方④:父が職場に連れて行ってくれた(番外編)
寡黙な父が、不登校になった自分を
何度か職場に連れて行ってくれたことがありました。
そこで、
- 父の同僚の人たちと軽作業を手伝ったり
- 仕事の補助をしたり
小さなことではありましたが、
社会との接点を持たせてくれていたのだと思います。
無口な父が職場では笑ったり、仲間と会話している姿を見て、
「見えないところで、父も頑張っているんだな」
と感じられたことも、今では大切な記憶です。
親御さんに伝えたいこと
当時、自分が「苦しい」と感じていた親の対応も、
もし今、同じ状況になったら…。
自分も同じように子どもに接してしてしまうかもしれない。
逆に、当時「救われた」と感じた対応も、
どこまで自分にできるのだろうか、と考えることがあります。
それくらい
「不登校の子を支える親」というのは、孤独の中で常に選択を迫られる立場なのだと、
親になってから強く感じるようになりました。
きっと、あの頃の両親も
迷いながら、その時その時で出した「答え」だったのだと思います。
私がここで挙げた「救われた対応」も、
別の家庭では、もしかすると「つらい時間」になるかもしれない。
そして逆に、私が苦しいと感じた向き合い方も、
その家庭の子どもにとっては「救い」になる可能性もあるはずです。
だから
これは正解
これは不正解
と、簡単に線を引けるものではないのだと思っています。
今の自分なりの結論を言うなら、
不登校との向き合い方は
「親も子も、間違えながら、それでも一緒に進んでいくもの」
なのかな、と感じています。
まとめ
不登校は、誰か一人の責任で起きる出来事ではありません。
親のせいでも、子どものせいでもなくて、
ただ、その家庭がその時に置かれていた環境や状況の中で、
どうにもならないところまで追い込まれた結果として起きてしまうものだと、今は思っています。
それでも、あの頃の自分も、そして両親も、
決して「投げ出していた」わけではありませんでした。
迷って、間違って、ぶつかり合って、
それでも必死に何かを掴もうとしていました。
不登校の渦中にいるとき、親も子も
「これでいいのか」「自分は間違っていないか」と
何度も自分を責めてしまいます。
けれど、あの頃を振り返って強く感じるのは、
完璧な向き合い方なんて、きっとどこにも無かったということです。
うまくいかない日があってもいい。
選択を迷ってもいい。
一度選んだことを、後から変えてもいい。
親も子も、その時々で精一杯考えて、
それでも悩みながら前に進もうとしていた…。
ただその事実だけで、本当は十分だったのだと、今は思えるようになりました。
もし今、この文章を読んでいるあなたが
同じように不登校と向き合っている途中なら、
どうか「完璧な親でいなきゃ」「強くいなきゃ」と、
自分を追い詰めすぎないでください。
不登校は、試練でも競争でもなく、
「親と子が一緒に揺れながら、生き方を選び直していく時間」でもあります。
この文章が、
あなたの孤独を少しだけ溶かしてくれたり、
「自分だけじゃないんだ」と感じてもらえる
小さな灯りの一つになれたら、
嬉しいです。


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